written by Kazushige Kinoshita

  • Posted by: futow
4人によって作曲された音楽
それは、"音を共に置く"という
コンポジションの語源から放たれる


「com+position」(コ ンポジション)は磯端伸一、江崎將史、木下和重、竹内光輝という4人が、「作曲」という、「音楽が生まれる装置」を制作することによって自らを表現する場 である。 我々は即興音楽を通じて知り合った。それ以降、即興音楽のライブで何度も共演を重ねた。当然ながら各自の音楽性は異なる。簡単に述べると、磯端は故高柳昌 行氏に師事しており、無調音楽とジャズを背景に持つ。彼の卓越した技術力と理論に裏付けされた深い音楽性には目を見張るものがある。江崎もジャズを背景に 持つ。だが、トランペットを金属の管であると再定義することで、独自の奏法を数多く開発し、独自の音楽性を身につけていった。私は定石通り、いわゆるクラ シックのヴァイオリンを学んでいたのだが、素材の限界を感じ、弓と弦の接触で起こるヴァイオリン・ノイズという始源的な素材を用いたアプローチの即興演奏 へとシフトした。竹内は作編曲、電子音楽を専門的に学び、演奏を重ねていくうちに現在では主に作曲を中心とした活動を行っている。 ここで言っておかなければならないことがある。それは、私達が行う即興演奏は毎回メンバーが異なるセッション形式なのではあるが、例えばコードに合わせて メロディを奏したり、ビートに乗せてそれに合うような演奏を行ったり・・・といったような従来の音楽語法を用いた予定調和的なアンサンブルを指向するもの ではない。また、身体を用いたパフォーマンス的要素もそこにはない。お互いが共有するのはそのような音楽的語法なのではなく、演奏時間のみである。その演 奏時間は予め決められる場合もあるし、お互いの演奏が終わった時点で決まる場合もある。我々はその時間内において、各自が自分自身の音楽を現出させること で、予定調和を超えた個々の独立した存在による集合が生まれるのである。ここには、予め聴かれるべきメッセージはなく、聴き手が自らの耳によって解釈し音 楽を作り上げなくてはならない。「聴く」という行為は、作曲行為と同一なものである。 このような即興音楽を活動のフィールドにしてきた我々が作曲をするとは、どういうことであろうか。いくら即興とはいえ、何も考えずに演奏に臨むものではな い。各人には問題意識があり、それを演奏によって具体化させるコンセプトが存在するのである。作曲という行為は、その問題意識をより明確にし、一つの完結 したものとして提示する。また、即興ではそのコンセプトが本人のみによって表されるものであったが、作曲することによって、そのコンセプトを演奏者が共有 することもできるのである。ここでの聴き手は、その意図を理解してもいいし、自分なりの聴き方をすることもできる。 5/11の演奏会は、第1回目であることもあって、各自がそれぞれ4人(または作曲者を除く3人)のために曲を書き、演奏を行う(2回目以降は、ゲストも 入るかもしれない)。それらはテーマに基づいて作曲が行われるのではなく、編成だけが規定されており、あとは各自の任意である。私以外のメンバーがどのよ うな問題意識を抱えて音楽に取り組んでいるのか、また、それをどのような記譜法によって表してくるのか、今からとても楽しみでならない。
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